七十二候(しちじゅうにこう)

いつも見てるけど全然更新されないよとお聞きし、早数か月・・・
ほぼ1年ぶりのブログの更新です。
皆さまお元気でしたでしょうか。
だんだんと春らしい日和になってきましたね。
先週の日曜日より、今年の畑作業をスタートしました。
今年こそはたくさん収穫するぞ♪
ということで、畑をやり始めてから、季節をほんとに感じる様になりました。
季節を感じるのに七十二候はすばらしいなと思う今日この頃です。
桜始開
イラストはイラストレータの柳下ミキさんに書いて頂きました。

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環世界

最近、NHKで再放送している『哲子の部屋』という番組にハマっています。
その日は、『環世界』という概念がテーマでした。
『環世界』とは、生物学者のユクスキュルが提唱した概念で、
『すべての動物はそれぞれに種特有の知覚世界をもって生きており、その主体として行動しているという考えで、
普遍的な時間や空間も、動物主体にとってはそれぞれ独自の時間・空間として知覚されているという事』だそうです。

どういうことかをわかりやすくマダニの例で紹介してみます。
人間には五感(視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚)がありますが、マダニには視覚と聴覚が存在せず、その代わりに嗅覚、触覚(温度感覚も含む)があり、
とても優れているそうです。このマダニは視覚と聴覚がないのに、うまく哺乳類の皮膚に吸い付きます。
どうやっているのか???
madani
その行動は、人間としては仰天です。
マダニは、森や茂みで血を吸う相手が通りかかるのをじっと待ち続けます。待つ時間も驚異的で数年も待っているものもいるようです。
相手の接近は、哺乳動物が発する酪酸の臭いによって感知し、それを感じたら、その方向に身を投げ出します。
見事、哺乳動物の体表にたどり着くと、マダニは哺乳動物の体温を感じ取り、ガブリと吸い付くわけです。
もし哺乳動物の体表にたどり着けなかったら、そこでは体温を感じることはできないので、失敗したとわかるようです。
先程、『人間としては仰天』と書きましたが、マダニにしてはこれが普通なのです。
この違いこそが『環世界』の違いということです。

この違いが、同じ種族間でもおこりえる。としたら。。。
そう。あなたと私が感じている『環世界』も異なっているかもしれないのです。
(私は小さいころ、目で感じて見えている色は、本当はみんなそれぞれ違うのではないかと不安になったことがありました。
 親や年上の人に聞いてみても、私が何を言っているのかを理解してもらえず、苦しんだのを思い出しました。)

番組では、その例として、二つの映画のなかで使われている、同じ曲について話を進めていました。
同じ曲なのですが、聞いた時の雰囲気が違う。。。
その雰囲気の違いは何なのか??
音楽に疎い私には、答えを知るまで全く分からなかったのですが、そのリズムが違ったのです。
片方は4拍子、もう片方は5拍子でした。
しかし、番組内の音楽に詳しい方は、すぐにこの答えが分かった様です。
つまり、その方は、音楽を学んだ者共通の環世界を手に入れていたのです。
このことから、『何かを知る・学ぶこと』は、『新たな知識=環世界を獲得すること』としめくくっていました。

私はゲシュタルト療法という治療法を学んでいます。
そのセラピーの中では、『いま、ここ』で感じている事に意識を向けます。
このことは、環世界を学び、自分の環世界に気づくキッカケになっているのか、と妙に納得がいった次第です。

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『動いている状態で把握する』ということ

先日、お休みを利用して、足利学校に行ってきました。
asikagaschool
足利学校は、日本最古の学校で、その歴史はとても古く、盛衰はあったものの、奈良~鎌倉時代に創建されました。
室町時代には、現在国宝となっている書籍が上杉憲実から寄進され、鎌倉円覚寺より快元を初代校長として経営にあたらせたという記録が残っています。
そのため、禅僧などの僧侶が教鞭をとりましたが、教育内容からは仏教色を排したところに特徴があったようです。
(仏教色は排するということで、人が学ぶという事に重きを置いていることを感じ、とても先進的に私は思えました。)
その内容は、儒学が教育の中心であったけれども、初代校長の快元が『易経』のみならず実際の易学にも精通していたことから、
易学を学ぶために足利学校を訪れる者が多かったようです。
『易』というとあの『占い』の『易』を想像するかと思いますが、『易』にはもう一つの『哲学的な側面』があります。
senzei
『哲学的な側面』とは、『動いているものを、人知を超えたものに委ねることで、動いている状態で把握するということ』だと今の私は感じています。
この『動いている状態で把握』というところがポイントです。
今の科学は『計測』をもとにした『仮説』や『予測』や『理論』がたてられ、それを用いて様々な科学技術が生み出され、その恩恵の基、私たちは暮らしています。
しかし、この『計測』は、『その瞬間』を扱ったものです。たとえ、動画の様な連続と考えられているものでも、『その瞬間』をつなげたものでしかないのです。
つまり、私たちは、『その瞬間』を扱ったものに、どっぷりと浸かって育ってきており、『動いている状態で把握』することに慣れていないのです。
最近、科学でも使われ始めた『量子力学』についても、いかに『動いている状態で把握』するかということがカギとなってきているようです。
世の中にあるものは、全て常に動いています。人も含めて。
治療やセラピーを行う際、『動いている状態で把握』することができる様になれば、『その瞬間』を用いて提供されるものより、さらに良いものを提供できるでしょう。
そのために、『易』の勉強を続けねばと思う今日この頃です。
fuji
最後に、大好きな『藤』の花を足利フラワーパークでみてきました。とてもきれいでしたよ。

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