素で感じること

先日、ゲシュタルト療法のトレーニングに行ってきました。
そこで心動いたことを書いてみます。

人の脳には、「欠損した部分を補足し、複雑ではなく簡潔にまとめる機能」があるということを改めて認識しました。
ゲシュタルト療法の創始者のパールズも、ゲシュタルトとは本来人間に備わっているもので、私は発見者にすぎないと発言しているそうです。
では、細かいことはさておき、実際に実験してみましょう。
以下の図を見てください。何が見えますか?
image
人それぞれ色々見えますよね。
私には☆が見えます。
でも構成は「黒いパックマン」と「折れ曲がった棒」で形成されてますよね。
「黒いパックマン」と「折れ曲がった棒」の間には線がないですが、頭で勝手に線を描いてますよね。
これが「欠損した部分を補足し、複雑ではなく簡潔にまとめる機能」です。
では、何を「礎(いしずえ)」として簡潔にまとめているのか。
それは私たちが☆という図形を知っている、見たことがある、経験したことがあること(生い立ちの『背景』)に由来しているのでしょう。
つまり、今あなたの中に起きたことは、
①「今・ここ」で図を知覚した。
②知覚した図を『自分の背景』を礎にどうとらえて理解し体験するかを決め、まとめる『脳の翻訳機能』が働く。
③まとまったモノが『前景』となり浮き上がってくる。
ということです。

このことは、このような図を見たときにだけ起こっているのではなく、日常を送る中の全てのことで起こっています。
この『背景』には、生まれてから今に至るまでに体験した様々な事やそれを通じて決めたこと、選択した様々な内容が入っています。
つまり、人それぞれ『背景』が違うので、『脳の翻訳機能』の結果も異なり、浮かんでくる『前景』も変わってきます。
まさにSMAPの歌にある「育って来た環境が違うから~♪好き嫌いは否めない~♪」ですね。

苦手な人が近づいてくるだけで嫌な気分になる事とかありませんか?
それは脳の翻訳機能がいつも同じ反応を起こす形で固定化しているのかもしれません。
例えば、厳しい母親に育てられた子供が大人になって、母親に似た人に出会うと何も自分の意見を言えなくなる様な場合です。
この時、目の前に実際にいる人が『前景』となって目に映るかわりに、厳しかった母親が固定化した前景になって浮かびあがります。
そして、母親色眼鏡をかけた状態で相手をみるので感情が勝手に反応してしまい、行動を制限しているのでしょう。
この様な場合から抜け出すためには、脳の翻訳機能に入る前のモノを『今・ここ』でどう感じているのか確認する(素で感じる)必要があります。
この確認により、気づきが生まれ『自分の背景』に新たな部分が入り、脳の翻訳機能が変化し始め、『前景』が変化してきます。
私も今はこの確認の練習中です。素で感じ、素で生きられればどんなに楽なことか。

ここで詩を紹介します。
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《過》 作:吉野 弘
日々を過(す)ごす
日々を過(あやま)つ
二つは
一つことか
生きることは
そのまま過ちであるかもしれない日々
「いかが、お過ごしですか」と
はがきの初めに書いて
落ちつかない気分になる
「あなたはどんな過ちをしていますか」と
問い合わせでもするようで
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今、あなたは、何を感じてますか?

iga について

はじめまして。 喜絡堂の院長をしております伊賀秀文です。 これも何かのご縁ですね。 その季節ごとに旬の話題を提供していけたらと思っております。
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